自己肯定感が低い私の就職活動
【内定者の就職体験記 特集】富士通グループ合同採用の2021年卒内定者が、就職活動の体験談やノウハウを語る連載です。第2回は、自己分析について、岡崎さんに赤裸々な思いを書いてもらいました。高校・大学と「自分に自信が無くて、何も上手くいかなかった」と言う彼女は、どのように自分に向かい合ったのでしょうか?
こんにちは!
2021年卒、富士通ラーニングメディアへ入社予定の岡崎と申します。
就職活動において大切な自己分析について、自身の経験をもとに述べていこうと思います。私の拙い経験がなにかの参考になれば幸いです。
就職活動を始めたのは、2月の半ば、、、
まず、就職活動といっても何からすればいいのかわからなかった私は、現実逃避するべく、とりあえず部活に打ち込みました。夏のインターンも部活を理由に一つも行かず、気が付けば3年生の2月も半ば。周りの友達は既に、バリバリ就職活動をしていました。
「そろそろ何か始めないとやばいな。」
重い腰をやっとあげた途端、世界はコロナの脅威に飲み込まれてしまいました。
就活を終えた先輩方に「どうにかなるよ」と励まされ、「どうにかなるか~」とへらへらしていた私でも、世間のこの状況にはさすがに焦りました。
「このままでは就職先がない!」
私の就職活動はコロナと共に始まりました。
「長所」が書けない!
とりあえず、進路就職課に駆け込みました。就職課の先生は、私に「就職活動を始めるにあたり、まずは自分のことを知る必要があることと、自分の強み、弱みを知っておくことが、面接で重要である」と教えてくださいました。
しかし、私は自分の強みが全く思い浮かびませんでした。
自分に対する自信が全くありませんでした。はっきり自分の意見を発言する事も出来ず、何に対しても人の後を付いていくような人間。そんな自分が嫌いでたまらなかったです。
弱みは数えきれないほど出てくるのに、強みの欄には何も書けませんでした。
嫌な記憶を呼び覚ます
そんな私に対して先生は「モチベーション曲線」を教えてくださいました。モチベーション曲線とは、小学生から今までの、モチベーションの上下とそのきっかけとなる出来事を書くことで自身を理解するものです。
当時、私は自分のことが嫌いで、特に部活がうまくいかなかった高校時代の記憶には蓋をして、思い出さないようにするほどでした。私の高校時代は、部活で進学したにもかかわらず選手として花は開きませんでした。全国大会常連校だったので、全寮制で朝から晩まで部活をし、家族には年に数回会えるだけ。もちろんホームシックにもなりました。
全国大会で、いくつもの県を跨いで何度も両親が応援に来てくれても、私は試合に出ることが出来ませんでした。元々プライドが高かった私は、三年間、申し訳なさと不甲斐なさと恥ずかしさで自信を失い、そんな自分のことが嫌いになりました。
そのまま大学に進学しましたが、自信がないまま「私はダメ人間」と思いながらの生活なので、何もうまくいきませんでした。
そんな嫌な記憶もしっかり思い出し、他にも素直に頑張ったことや、嬉しかったこと、落ち込んだことを具体的に書き込んでいきました。部活で他に負けるなら勉強では負けたくないからと、自力で志望大学に合格したこと、大学でも寮生活を頑張ったこと。今まで、嫌なことばかり思い出として残っていたけど、一つひとつ思い出すと、頑張った思い出もたくさんありました。
その時にはじめて「過去の私、意外に頑張ってるかも」と感じたのです。
その瞬間、私の就職活動はスタートしました。
就職活動は自分を知る旅
就職活動はつらくて、大変で、落ち込むことも多いです。しかし、自分自身を一から見つめ、自分の長所を探す、そして、自分を愛せる時間だと思います。
私は就職活動を通して、自分のことを客観的に見ることが出来、自分に自信を持つ良いきっかけになりました。
また、自己分析を通して「当時の私も必死に頑張ってたんだな」と自分自身のことを認めることが出来、やっと自分のことを少し好きになれました。
そして、私の芯を見てくださる面接官の方との会話も、自分を客観的に見ることができるとても良い機会だったと思います。
私が富士通ラーニングメディアに決めた理由は、面接で赤裸々にさらけ出した私を認めてくださったからです。「その経験や痛みを糧に頑張ってくれそうだから」と言ってくださった面接官の方の言葉が本当に嬉しくて、富士通グループで一生懸命頑張ろうと決めました。
就職活動は自分を知る旅です。今まで見えなかった自分の姿を、しっかり見つめ、前に進む、そんな活動だと思います。